[平成23年12月7日]no.612011年12月07日 10時51分57秒

最近のマスコミは野球情報で大忙しです。
ヤッパリと言いますか、東海大学の菅野智之投手は日ハムにドラフト一位指名されましたが、断って浪人人生を選択してしまいました。
小さい頃からの夢を叶えたいとのことです。マスコミ・評論家は一斉にドラフトの制度を踏みにじるものと批判的な傾向です。しかし、ドラフトの最初の精神は何だったのでしょうか?

巨人・大鵬・卵焼きといわれた大昔の話ですが、全ての野球少年は巨人を目指し、余りにも巨人がダントツに強いので、戦力の平均化を目指すために作られたのがドラフト制度だったと思うのです。それがいまや経営者側の権利であるかの様相を呈し、勝つことのみに専念していて、その姿は企業が利益のみを追求している姿とダブってなりません。規則を余りにも拘束的に運用すると閉塞感が生まれ、自由で夢のある未来は生まれてこないのです。大人は、青年達に夢を与え続ける立場でありたいと思っています。

巨人の老実力者渡邊氏と清武氏の争いにメディアは飛びついています。あれは争いではなく老人の害というか、権力を握った者の最後のあがきというか「人生のみっともなさ」曝け出してしまっています。

老害は昔からのことですが、11/26付けの天声人語で「主筆として大新聞を率いながら、球団のコーチ選びにも関わる精力は尋常でない▼ともあれ、有力メディアがかくも長く、一個人の絶大な影響下にあるのは穏やかな景色ではない。愛すべき大先輩だって、独裁者呼ばわりは不本意でしょう。独り言ながら、晴耕雨読という道もある。」と論破していました。その後も、渡邊氏(85)は巨人球団代表ゼネラルマネジャーを解任された清武秀利(61)氏を名誉棄損で提訴するという記事が載っていました。一般的には、85歳にもなれば、将来有望な61歳の苦労人を応援するのが「人としての道」だと思うのですが。

11/28「橋本維新ダブル選圧勝」は既成政党の政治運営への不満が爆発したようです。
政党政治(党としての見解を纏め、それを所属党員に同意を強制して他党と賛否を争う)運営が個人議員の少数意見を抹殺しながら、全てについて対決する姿勢が、普段の国民生活では世界が絶賛する日本人の「助け合い、支えあう」思いが自然の姿なのに、なにか別の世界で醜い争いを続けているように感じてしまいます。古くなった政治体質(どこかの主筆と同じ)を続けているので、一国民として「なんとか改善して欲しい」という願いが、新しい風になびくのも自然な姿のような気がします。