[平成19年4月1日(no.30)]路傍の石の思い出話し2007年04月04日 08時08分42秒

昨年の十月末以来、約6ヶ月ぶりに少し目をあけて世の中みまわしてみました。

仕事と体調がかみ合わず、今日まできてしまいました。 雑誌をパラパラと読んでいる中で、懐かしい言葉にめぐり合いました。 (昭和のはじめの英語学者田中菊雄で元山形大学教授のことば) 人間一人一人に光がある。一人の光が真に光を放つには、根本に「人生に誓うものを持つ」ことではないかと思う。 山本有三作『路傍の石』の中で次野先生が少年吾一に語る言葉が思い出させる。

“たったひとりしかない自分を たった一度しかない人生を ほんとうに生かさなかったら 人間、生まれてきたかいがないじゃないか”    この言葉に感応し、誓いを持って人生を歩みだす若い魂の一人でも多からんことを願うわずにはいられない。    いつかは、何で私のブログ名がこの題名なのか説明しなければと思ってい たのですが…。 想い起こせば阪神大震災の朝、テレビで燃盛る神戸の町並みの中継を見ながら、父(千代田第一工業の会長)の葬儀で、享年82歳でした。 父は内村鑑三先生の思想を強く受け継いでいました。そしてこの本が好きでした。 山形と宮城の県境の笹谷村に生まれ、お寺で学資を面倒みて貰い、東京の電気大学を卒業しました。想像を絶する苦労の連続だったでしょう。東芝を辞め、会社を興し隆盛だった時期もありました。私が高校二年の時に規模を大幅に縮小しました。 父の生き様も私の生き様も、吾一少年とかさなるのです。 大事なことは、平凡にいききることだと。

平成19年4月16(no.31) 「生かされて」2007年04月16日 08時11分32秒

「会長のブログを最近は更新していませんね」と軽く励まされることが、度々ありました。当時は少し、屁理屈つぽくなり過ぎていたかなと反省していました。 再開するにあたり、雑文で「私がまだ生きている証として」勝手きままに、路傍の石ころの気持ちで綴ってみたいと思っています。

昨日、三年振りに大学の先生(信夫社長の知り合い)達とゴルフをしました。 「前回と比べて本当に元気になられましたね。失礼かもしれませんが、前回は病人のようで覇気が全くありませんでした。今日は元気そのものです。本当によかったですね」と…。健康にちっと懸念のある方との思いで残しゴルフでしたが、私の健康をそこまで見てくれている人がいるのだと感慨をあらたにしました。一期一会の人生、思い残すことのない闊達な人生感には胸 を打たれました。

その時の経営談義

ドラッガー名言集より 「組織は、世のため人のためのものなのだ。よのため人のためにあるとき、 組織は繁栄する。逆に自分自身のためになったとき、あっというまに左前、転落の一途をたどる。 転落しないためには、自分達の組織が、社会、コミュニティ、個人のどういったニーズにこたえているのか、常に関心を払うことが大事だ。 したがって、自分達は何のために存在するのか、何のために活動するのかを考えることなくして経営はない」私は長く経営に携わり悩んでいました。自分自身の贅沢を戒め、社会の矩を越さないように生きてきました。特に近年は「会社は公器である」という強い信念のもと会社を新しい方向に導いてきました。 中小企業の経営者が「会社は公器」と名言する人は非常にすくないと指摘されました。 知足の精神と、「夏のスイカ」で在りたいものです。